2.4月の初めくらい 暖かい日

1.

タイトル、最初は日付にするつもりだったんですけどそんなことしたら毎日書かないと行けない気がするからやめました。

こういうところに人間性が出るんだろうなあと思います。だからって無理してコツコツ毎日書いて、それが続けば習慣になる、そうしたらそれはもう自分という人間性の獲得じゃないか! だとか、思わなくはないけれど我慢強いとか継続できるとかって必ずしも美点ではないと思うんです。

自分が耐えられるから残業をする。周りでそれを見た人も据わりの悪さから残業する。挙句それが文化になったのがこの国でしょう? どこにも美徳なんてないじゃない。

 

2.

自覚のないところでも体調は気分に大きく影響してると思うんだよね。お腹の痛いときに元気に振る舞おうとしてもまあできやしないし、トイレを我慢してるときにゆっくり話す人に引き止められたらイライラするみたいな。

これだけだとなんだかお腹の弱い人としか思わないけど、単にこいつらはわかりやすい例でしかないので実際はもっとたくさんあるし、自覚のない体調不良だってあるはずなんだよね。

なんちゃらミンみたいなホルモンが足りないと眠たくなるとか、これこれ神経が昂ぶってると短気になるとかそういうの。どこだったかのサイトでそんな記事を読んで、気持ちが鬱々するときは日光が足りないなんて書いてあった。

体内でなにが排出されてるかなんて見えやしないし、現代じゃなければ(というか現代でも)眉唾もんだなあと思うのですが、日光を浴びるのにお金はかからないし! なんて卑しい考え方から最近はお昼休みに日向ぼっこしてます。

公園のベンチでぼんやり空を眺めてるだけでも意外と気持ちは前向きになったりするからおすすめ! って力強く言い切りたいものですがそうでもないです。

私服でお昼に公園にいるのがおかしく見えるのか凝視してくるサラリーマンとかいるし。あと曇りの日は多少日が出てても外に出ないほうがいいですよ、無性に気持ちが暗くなったりします。ついでに変な人がいる公園も行かないほうがいいですね。僕の使ってる公園には野良猫が住み着いていて、その肥え方からどうもアイドル的扱いを受けていることがわかるのですが、そいつに餌をやるおっさんがきつい。ジャッキー・チェンを彷彿とさせるジャージ姿で顔はココリコの田中を踏んづけたようなやつなんですが、彼が文字通りの猫なで声かつ赤ちゃん言葉で猫に餌付けしているのを見たときは自然と目をそらしてしまったくらいです。

彼はいつもそうして猫を数分撫で回したあとスイッチが切り替わったように立ち上がって最短距離で水道に向かい、見ていて痛々しいくらいの強さでゴシゴシ手を洗ってから、最後に雲梯で懸垂を5回ほどこなして帰っていくのです。こうして書き出してみるとおかしな人なのは間違いないのだけども、彼は楽しそうだしたぶん僕よりも幸せなんだと思います。そんなところで自分の世界ランクを下げたくなければ、普通の公園に行くことをおすすめします。

ただまあ幸せそうな人間を見ても自分が不幸になるわけではないしね。そういう幸せもあるんだなあって思えますよ。案外自分も幸せなのかもしれないよね。

なんの話だっけ?

 

3.

チョコモナカジャンボを食べながら夜道を歩いてみて、めっきり春めいてきたなあと思いました。

新生活、新学期、胸が踊りますね!

ちなみに胸がドキドキするのと胸が踊るのって何が違うんでしょう。踊るっていうとわくわくしているとか、プラスの印象が強いけど現象としてはドキドキしてるのと同じですからね。

結局、見え方なんて都合よく解釈するしかないよね、ニンゲンだもの。