10.4月の中頃くらい 春の一番暑い日

ぐだぐだ書いてたら5月になってました。5月、5月だなあ。

暑いやら寒いやら、面倒くさい日々が続きますが皆様におきましてはどうか体調崩されませんよう。

 

 

1.

目を覚ましたら8時前だった。

仕事には間に合わないなあとか、休みの連絡入れないとなあとか、そんな考えを巡らせていたら外からは子供の声が聞こえてくる。家の前はそこそこ大きな公園で、グラウンドも併設されているのだけど、どうやらそこから聞こえてくるらしい。中には子供の甲高い声だけではなく野太い大人の声、笛の電子音なんかが混ざっていて、どうやらサッカーをしているらしい。どすっ、ぼすっ、みたいな鈍い音も聞こえてくるし間違いない。

という確信を得たところでようやく今日が休日だと思いだしたのでした。週休1日みたいのが続くとどうにも感覚が狂ってしまうね。感覚は狂っても体は目を覚ましてしまうのは成長か退化か、それは捉え方次第だけれど、二度寝の瞬間っていいよね。というか寝ることっていいよね。この世に残された唯一の救い、娯楽、はたまた生きる意味かもしれぬ。

夢の中でならおれはなんにだってなれるし、どこにだって飛べるし、いつにだって戻れる。戻りたいときがあるのかって? それはまあ、単純に子供の頃とかに戻りたいんじゃないかな。正確には違うんだけどね。子供の頃というよりは、たぶん記憶が曖昧になって来るくらいの時間に戻りたいんだろう。遠ければ遠いほどいい。そのほうが自分の思った通りの夢の中にいられるのは誰だってわかることだ。近い記憶なんて、鮮明なだけで嫌なことしかないよ。

 

2.

それから何度かの浮上と停滞、沈没を繰り返して完全に覚醒したのは午後2時過ぎでした。

どんな夢を見たんだっけな。いや、見たんだっけな夢。何も見なかった気がする。そう、たぶん見てない。途中何回も目を覚ましては薄い睡眠の中にいたから、やたらと天井を見ていた記憶だけか残ってやがる。使えない脳みそだなあ。せっかく貴重な時間を削ったのだから少しくらいいい夢見せてくれたっていいだろうに。

この場合のいい夢っていうのは自分の過去の幸せな記憶ではなくて、というか幸せな記憶ってなんだろう。とにかく、過去じゃなくていいんです。

例えばボーイッシュで一人称もボクな感じの可愛い女の子と異世界を旅する夢とか、その旅先で拾ったきれいな石がとてつもなく高価なもので売却ウハウハ、幸せな人生を送りましたとか、この落書き日記を読んだ超絶有能な編集さんもしくはライターを探してる誰かとかがスカウトしてくれるとか、そういうのでいいのに。あ、ハーレムはいいよ。あれはなんか虚しさの塊って感じがして嫌いなんだよね。

寝るときにうつ伏せだと夢を見やすいとか俗説にあるからそうして寝たはずなのに記憶に残ってるのは天井ばかりだし、意地でもおれに夢を見せたくないのだろうか。そんなにおれをいじめて楽しいんですかおれの体は。

夢は知ってることしか経験できないって? なら頻繁に空から真っ逆さまに落ちる夢とか、十数段の階段を幅跳び選手もびっくりな跳躍力で飛んで電信柱に激突する夢とか、蛇に噛みつかれたと思ったら体の内側から蛇が出てきて食い散らかされる夢とか、そんなものばかり見るのはなんなんだ。前世でそんな経験してるのかおれは。くそう。人生なんてろくなもんじゃない。来世は、いや、来世はいいや。うん、いい。

 

3.

起きてから簡単にシャワーを浴びて、巨人阪神戦で岡本が3ランを打ったのを見届けて外に出た。なにか用事があったわけではないけれど外の空気を吸って、自分を定める必要があるような気がした。あと食べるものもなかったしね。

薄雲が広がる空からの日差しはやたらと暑くて、自転車に跨る前にウェザーサイトを覗いてみたら30℃近くあるらしい。目の前のグラウンドに目をやるといくらか観戦している家族がいて、全員が半袖を着ていた。そりゃあ暑いよなあ、遮るものがなにもないもの。

じわじわとする暑さは夏ほどではないけれど、間違いなく春ではない。でもそのどっちつかずな優柔不断さが今の自分にはちょうどいいような気がして心地よかったです。

とりあえず腹ごしらえをと松屋でなんちゃらネギ丼を大盛りで頼んだら1分足らずで出てきた。出てきてからそんなに食べたくないことに気づいて、だけれど出てきたものをそっくりそのまま残して出ることもできない。いま思えば持ち帰り用に変えてもらえばよかったんだろうなと思うけれど、仮にその時思いついていても申し訳なさからできやしないだろう。それに持ち帰ったところで食べたくなるかはわからないし、けれどどちらにしろ生きる上では食べないといけない。生きたくなければ食べなければいいとか、そういう簡単な話ではなくて、食べることのできる環境にある人は食べて生きていかないといけない。こういうのってどこから、いつ、刷り込まれたものなのかわからないけれど、自分が生まれるずっとずっと前、遺伝子の中に刷り込まれているんだと考えると自分が人間だなあって思いませんか?

結局なんちゃら牛丼は残しました。

途中から味に飽きてなにかのタレをかけてみたのが間違いだったようで、ゲロみたいな味とサナギ虫みたいな見た目になったご飯粒を見て食べられなくなりました。

 

4.

 無性にコーヒーが飲みたくなって、自販機で100円のコーヒーを買う。いくらかの種類が並んでいたけれど買ったのは一番安い100円のやつだった。これはみみっちい思いをしているんじゃない、コーヒーという物質を腹に押し込みたいだけだから安いやつでいい、むしろ安いやつこそコーヒーなんだとか、誰に対しての言い訳かをしながら買った。帰りながら飲もうとしたのだけど、あいにく白い服を着ているものだからベンチを探すことにした。家の前が公園なのだからそこでいいだろうと向かってみたものの、どのベンチも埋まっている。ならベンチじゃなくていいだろうと地べたに座り込んでプルタブを引こうとしたら、じろじろ、チラチラ、やたらと視線を感じる。子供すらもぎょっとした目でおれを見る。その子供はやたらと上品で、背負っている小さなリュックにはサーモスの水筒がささっているし、彼の先には白色のつばの長い帽子を目深く被った女の子が手をもじもじさせている。

声をかけてみようかと口を開いたら、どうにも言葉が音にならない。松屋でかけたタレの臭いを孕んだ空気が喉の奥から出るだけで、どうにも声にならないのだ。そうこうしているうちに彼は女の子に手を引かれて去っていった。いたたまれない気持ちになって、彼らの姿が見えなくなっていくのを見送ってからおれは自転車に戻った。

彼らは小さい体でどこに向かったのだろう。それなりに大きい公園だから、単純におれから離れた場所で遊んでいるのだろうか。それとも別の場所へ向ったのか。どちらにしても遠くにはいけないだろうと考えて、それがやたらと物悲しく感じられて、昔住んでいた家に行こう、そうしようと思い立った。

 

5.

 そうはいってもまっすぐ向かうのはなんだか違う気がするわけで、というより心を気持ちを過去に持っていく時間が必要なわけで、小中学生くらいのころに使っていた通学路、公園なんかを巡りつつ戻ることにした。今住んでいる場所と昔の場所とはちょうど同じ区の端から端くらいまでなので、さして遠回りにはならないでしょう。

 思い直して改めてペダルを踏み込んだのだけど、やたらと重く感じる。パンクしてるときみたいな重さで、しかも前に進んでる気がしない。既視感があると思ったら強風の中を走っていて全く進めなくて焦る夢、あれとよく似てるんだ。もちろん現実にそんなことは起こらなくて、このペダルの重さはきっと気持ちの問題だろうけど、おれを乗せた自転車はしっかり前に進んでいる。今だって犬を連れたおじいさんを追い抜いたんだ。にしても今日は風がない、暑くてたまらないね。今でこそ気軽にジュースもアイスも、なんなら涼しい空間だってお金を出せば手に入るけど、昔のおれはどうしていたんだっけ?

 

6.

 おれの通っていた小学校は同じく通っていた中学校も近くにあるので、どちらかの時代を辿ろうとすると必然的に双方のことを思い出すことになる。ただ中学校の頃はあまりいい記憶がないし、人生で一番くさくさしていた時期だったこともあってこんな暑い日には思い出したくない。思い出すなら雨の降っているじんわりと暑い日か、肌をピリピリさせるくらい寒い日がいい。ということで、なるべく小学校のことだけを思い出せるようおれは道を辿った。

小学校の脇にあった文具店はいまだ健在らしく、日曜の午後とあって営業こそしていないものの店前はきれいに整えられていた。おれが当時通っている頃からボロっちい見た目をしていたのは今も変わらず、良くも悪くも文具店といった様相なのを見て、少しだけ安心できた。

小学校自体は変わりないように見えたけれど、グラウンドでは何組かの子供が遊んでいる。これはおれの時代からできたんだったかな? 出不精というか、休みの日はゲームをする日だと半ば決めいてたせいで休日の学校の様子を知らないのでこれは判断できない。たぶん昔からそうだったんじゃないかな。となると管理人として教師の誰かがいるのかしら、大変だなあ。忙しかったり変則勤務なんて褒められたものじゃないけれど同情してしまうって、こんなやつに同情されるほど迷惑なこともないだろうからなにも言わないでおきます。いや、ほんとに偉いと思ってますよ。

そこから坂を登って、少し先の角を曲がる。

在学中に膝の靭帯を切ってしまったことがあるんだけど、おれはどうにも痛みに鈍く、しかもそれはなぜか右半身になるとなおさら顕著で、靱帯が切れたときも少し痛くて足が上がらないし曲げられないけど我慢できないほどでもないと無駄に我慢をして、結局帰り道に足を曲げないと登れない坂道で痛みから泣いたことがあります。その坂が今登った坂。秒数にして5秒くらい。いい思い出だって言い切れたらよかったけれど、このときの無理が祟って膝の靭帯は完全に断裂してしまい、一応繋がりはしたらしいのだけど未だに膝はよくない。全力で走ったらバチンと切れそうな気がするし、そもそも歩いていて左右の足が違う軌道で動いているのがわかるのだから、過去の自分を恨むしかないよ。膝曲げるたびにゴリゴリパキパキ音はするしね。人間管楽器みたいだ。(関節だけに)(激ウマギャグ)

 角を曲がって左手側には図書館があって、ここは大学時代も何度か使ったから別に思うことはないです。あ、でもここで痴女に会ったことはあってそれは記憶にありますね。

 そこからいくつか角を曲がると小学校のときサッカーを習っていた公園が見えて、と思ったらなんだか大きい建物がある。どうやら保育園のようで、公園を潰して保育園、本末転倒まではいかないけれどもやもやするなあと通り過ぎようとしたら、保育園の裏に小さくなった公園がありました。

そこには大人が中腰で入れるくらいの大きさの土管がいくつか置いてあって、気まぐれに中を覗いてみたら小学生くらいの男の子と目があった。男の子には同じ年頃の女の子が抱きついてキスをしていて、いやこんなものを見るつもりじゃなかったんだ、最近の子はすごいなあと放心していると男の子は目を女の子の頭の影に隠してしまう。いらぬ出歯亀をしてしまった。いいなあ、暑い日に土管の中で女の子とキスなんて、彼がこの先おれみたいなしょうもないやつになったら一生心の中の青い傷として残るだろう経験をして、羨ましいったらない。おれはその頃の思い出なんてあんまりいい噂を聞かない、お兄さんはなぜか片耳がないとか言われている女の子からハムスターをもらったり、その子がカッターで削った木の棒を腕に刺されたり、そんな記憶しかないよ。ちなみにハムスターは1年くらいで死んでしまった。何日か餌をやり忘れていたら籠の中で丸く、カチコチになってしまっていたので親から隠れてこっそり庭に埋めた。実はこれ、ハムスターは冬眠していたんじゃないかってあとから気づいたけれど、どちらにしろ近く殺してしまっただろうからあんまり変わりはないね。その後おれは転勤してしばらくその子と話すことはなかったけれど、色々あって元いた場所に戻ってきたら、その子から「ハムスターはどう?」って聞かれて、「引っ越す前に死んだよ。庭に埋めた」と返したら、軽蔑するような目を向けられて今度こそ、それ以降話すことはなかった。

 

7.

坂を下って下水道局前を通り過ぎるともう目的地まではあとわずかだ。

昔同じ社宅に住んでいた友達とこの前を通るとき、住宅が立ち並ぶ中で異様に白く大きな建物に思えたそれは今見るとずいぶんと小さく、違和感ないものになっている。おれの身長は小学6年生のときにはほぼ現在と同じくらいで、きっと今と同じような景色が見えていて、いまのおれとの違いはなんなのだろう? 背中の汗がべったりとシャツを吸い付けていて気持ち悪い。

 

8.

たどり着いた社宅は全体的に少し日焼けしたように見えなくはないが、記憶とさして大きな違いはなかった。いつからか設置されて常に閉められている、大きなシャッター門もそのままだ。

自分の家が正面に見えるあそこで、いくつ隣に誰が住んでいて、なんてことをポロポロと思い出してみる。隣に住んでいたサトウさんは元気だろうか。同い年で父親たちの仲が良かったこともあったからたまに登下校を同じくしていたんだけど、いつの間にか引っ越していてお別れはできなかったような覚えがある。その後なにかの拍子に父親から「あの子の家は裸族なんだ」と言われて、すごく複雑な気持ちになった。両親がではなく、サトウさん含めた家族全員がそうだという事実は当時自分の胸中を中々に掻き乱してくれたのだよね。というか自分の娘に裸を強要(自発かもしれないけれど)する父親なんて、実在すると思わないよね。まともなオトナになれたのかなあ、サトウさん。

 

9.

 陽はだいぶ傾いてきたものの暑さは衰えず、ここにいてももう自分にいいことはない予感がしたので素直に帰ることにした。

ここに来るまで昔のことを思い起こしはしたけれど、どれもくだらないことや他人のことばかりで、例えばあのときはあれが大変だったとか努力した記憶は思い出されないところがすばらしいね! だって努力なんてしていないんだもの! それでも強いて言うならば、今も昔も死なないことに必死でそれ以外に割く気力も体力も、あと才能なんかもないんだろうね。流されるように生きてらあ。ケラケラ。あぁどうしようもない、どうしようもない生き方をしていることだけは改めて理解できたからそれは収穫でしょう。

生きるって、なんて素敵!!

それにしても長く生きただけあって記憶の数はそれなりなのだなあと思いました。どこを見ても、なんとなくそれに関連した記憶が思い起こされるのだから、なんだか感動するよね。

時計を見たら現在の家の前にある公園を発ってからまだ30分程度しか経っていない。だというのにどの景色にもおれが染み付いていて、こんな小さな場所に拘って自分が生きてきたことにも、そこからまだ離れられない自分にもほとほと呆れ返ってしまう。嫌悪する。気持ち悪い。ばかじゃねえの。だからまだ生きてんだよ。

あ、そうだ。コーヒーをまだ飲んでいなかった。

もうどこか座ってのんびりと飲もうなんて気分ではないし帰りながら飲もうとプルタブを引いたら、ちょうど小さな橋に差し掛かって、その道路の段差で中身が飛び出し、服にシミを作ってくれました。

立ち止まり、慌てて指でシミを拭ったものの、そいつは薄くなることもなく、むしろ広がるばかりで白い服に茶色い島ができてしまった。

なんだか突然投げやりな気持ちになってしまい、コーヒーを半分ほど飲んでから、缶を川に投げ捨てた。浅い川だとは知っていたけれど想像以上に浅かったらしく、缶は鈍い音を立てて川底に留まった。どこからか様子を見ていたらしいスウェット姿のおじいさんは、大袈裟にため息をついておれに目を向けている。おれが一番、ため息つきたいんだけどね。