27.8月の中頃くらい 蝉に驚いて跳ね飛んだ日

1.

 たとえば僕は昼寝や読書なんかが好きだけれど、これと同じくらい仕事が好きだったなら、毎日が薔薇色、人生はすばらしく視界は良好呼吸するのも楽しいなあなんて、そうに違いないのだ。

 朝早く起きて会社に向かい、一日中大好きなことをやって、夜遅くに家に帰ってきて、即座に眠る。まさに満ち足りた幸福な一日。すばらしい人生。生きてて良かったなあ、と自然に笑みもこぼれたり。

 しかし実際のところは、朝早くに起きて会社に向かい、一日中大嫌いなことをやって、夜遅くに家に帰ってきて、即座に眠る。まさに悪夢の一日。絶望の人生。なんで生きているんだろう、こんなの死んでても同じじゃないか、と自然に愚痴もこぼれます。

 そう考えると嫌になってしまって仕事を辞めたのですが、人生は一向にすばらしくはならないし、貯金は減っていくし、容赦なく税金は徴収されるし、もはやこの世に救いはなく、腹を立てる元気すら失われていく始末。やってらんねえ、確かに働き続けていれば今の状態に陥ることはなかっただろうさ。けれども、だけれどもだよ、一生懸命働いて給料もらって出世して、それで満足って人もいるかもしれませんが、そんなお前らにできることは長生きだけじゃねえか! もういやだ。一抜けでいい、おれは降りるぞ。あてのない旅にでも出て人の醜さを感じ取ったあと、冬になったら雪の下で行き倒れてやる。だって、目が覚めている時間の八割を奴隷労働に奪われ、休日に趣味に手を伸ばす余力はなく、そうして息継ぎもできずに生きていくなら、寿命が八割短くなったって同じじゃねえか。本当に馬鹿にしている。なにが労働はすばらしい、健全、一人前の社会人、ビジネスパーソンを目指せだ、みんな嘘ばっかりじゃないか。こんなの狂ってるちっとも楽しくないよ絶望的な有り様だよ。それを真顔で奨めやがって、どんな脳みそしてるのか覗いてやろうか。

 

2.

 幼かったころ、父に連れられてNHKが主催しているイベントを見に行ったことがあります。おかあさんといっしょの出張版みたいなやつで、いくつかの童話を着ぐるみや、操り人形なんかを使って実演してくれたのですが、その中の一つにアリとキリギリスがありました。

 みなさんはアリとキリギリス、どちらが好きですか? 僕はキリギリスの方が好きです。目の前のすばらしい春や夏を感じることなく見捨ててまで、周到に知的に姑息に冬に備え、どうにか冬を生き抜き、春になればまた冬を見越して働く。そんなゴミみたいな生活の唯一の楽しみといえば、冬になってのたれ死んだキリギリスを見つけて、「こいつはばかだなあ、僕たちはかしこいなあ」なんて具合に、あたたかな場所からせせら笑うことくらい。それが楽しい、正しい、幸せだなんて言うのはあまりにも曲がっているよ。

 だったら僕はキリギリスになって春夏は楽しく遊んで、冬になったら凍えてしまうも、決して食料を分けてくれないアリさんたちを憎むことなく、好きなやってこうなったなら満足じゃないかと、そのへんでのたれ死にたいのですが、これはあまりにも自己満足だし迷惑なので、得意の歌でも唄っていたい。アリさんのように勤勉でなく、社会参加はせず、国民総生産には貢献しなくて、税金もわずかしか払わず、なんの役にも立たないかもしれないけれど、歌を唄ってみんなを元気づけることはできるんじゃないかな。そんなキリギリスのように僕も生きていきたいものです。

 そういうわけで僕は現在社会に参加できていないですが、それはつらいからとかダルいからとかそういうわけじゃなくて、それなりに真剣に考えてのことだからこれを読んでも怒らないでください、許してください、馬鹿にしないでくださいって、馬鹿にするよね。そりゃそうだよね、君たちは健常者で、アリさん側で、つまり君たちはボクじゃないから仕方ない。僕だって君たちじゃないから、馬鹿にするなということ自体おこがましいことで、もう知らない。知るか。君と僕は違うんだって、でもなんだかそれって寂しいね。だけれど仕方ない。僕の幸せと君の幸せは違うんだから。みんなそれぞれ、幸せになれるといいね。

God bless you!