48. 1月の中頃くらい 蕎麦を食べたかった日

1.

 あけましておめでとうございます。

 なんだか気がついたら前回から半年も経っていて、しかも先日にふと思い立って何かを書こうとしたらブログ自体が消えていました。今は元通りだけれど、何だったのだろう。

 去年は入院したりなんだりで、あぁいよいよ人生も終わりが近づいてきたのだなと思ったのですが、たぶん間違ってはいないのです。ここからスカイフォールみたいに急転直下、落ちるところまで落ちると思えば底はなく、仄暗い穴を真っ逆さまに落ち続けるのでしょう。怠惰な日々は人を損ねます。目的を持って日々を過ごせって、頭の中の自分が叫んではいるのだけど、残念ながら主導権は君にはないのだよね。早く奪い取っておくれよ。

 

 

2.

 ぼんやりテレビを眺めていたら50代の漁師がラ・カンパネラを弾いている様子が映っていた。演奏自体は丁寧だけれど若干スローテンポで、それでも太い指が鍵盤を壊れ物を扱うように叩いているのは奇妙な綺麗さがあった。あんな太い指からこんなに繊細な音が出るのかと、思わず見入ってしまうくらい。

 スタジオは拍手喝采、漁師は憧れの人の前で弾けて感涙。あぁよかった素晴らしい演奏だった努力は人生を豊かにするね。それはたぶん正しくて、自分とてその努力を肯定しこそすれ否定する気なんてない。

 ただ、こうして自分が覚えた感動は一体何に対してのものなのだろうね?

 丁寧な演奏だったことは確かだけれど、拙いなと思ったのも確かで、じゃあ一体胸を打ったのはなんなのか。仮にその演奏が映像なしに流れていたら? バックボーンが語られずに流れていたら? 街角で知らない人が弾いていたものなら?

 ラ・カンパネラなんて誰でも知っているような有名曲だから、音楽自体の魅力はあるんだと思うよ。でもじゃあ一体、ピアノのコンクールなんかは何を見ているんだろうね。演奏技術とか表現の豊かさとか、それはわかっているのだけれど、その豊かさってどの部分で感じるものなんだろう。

 演奏の個人差なんて詰まるところ呼吸のリズムとか指圧とか強弱とか、そういうものの集合体でしかない。それを個性だって言うのは簡単だけれど、個性は個性になる前提に「あいつはこんな性格だからこんな演奏になるんだな」って理解があると思うのだよね。

 あんなものは手書きの履歴書を見ながら行う面接みたいなものでしかないんじゃなかろうか。字が角ばっているから几帳面だとか、丸っこいから女性的だとか。

 今回のラ・カンパネラなら「漁師」が「7年」の間「独学」で練習したって、そういう情報が事前にあった。その上で演奏を聞いて覚えた感想って、果たしてそれは正しいものなのかしらん。

 この章の最初に演奏に見入ったと書いたのは意図的で、聞き入ったわけではないのだよね。こんな人が演奏をしているんだと見入った。それって、劇を見ているようなものだから出てくる表現だと思う。気持ち悪いよね。でもそういう情報が入ってきた瞬間に音楽は音楽だけの価値を持たないものになって、それにつける名前を僕は知らないけれど、その人の作品みたいになるんだと思う。そんなのって僕は嫌だな。

 本心から音楽を聞きたいのにそれじゃあ音楽を聞いているのか情報を聞いているのかわからない。

 これは作家論やテキスト論の話に繋がるんだけど、どこまで行っても作家と作品を切り離すことなんてできないんだよね。作家の人間性は排除して読んで感想を〜なんて言ったところで、自分の中にその作家の知識がわずかでもあればその時点でバイアスがかかる。仮に知らなかったとしても作品から作家像を考えてしまう(これは自分だけかもしれないけれど、例えば歌なら歌声から歌手の顔や背丈を思い浮かべるでしょう?)。どこまで行っても作家とテキストは切り離せないし、音楽と演者も切り離せない。どんな作品も結局は人間の一部で、形を変えた人間でしかないような気がする。そこから脱出するためには例えばピクサーみたいな脚本を何人かで書くような、個人に依らない作品を鑑賞することが最たる手だとは思うのだけれど、それにだってどうしても個人は関係してくる。そもそもそういう作品に登用される脚本家自体が経歴を持っているものだし、そこから傾向もわかってしまう。ずぶの素人がゴニン集まって作ればそれもないかもしれないけれど、今度は粗が目立ってその粗から個人への推察に移行するだけだろうね。

 作品を見て聞いて得られる感想って、それは作品に対しての感想なのか、それとも作者や演者に対してのものなのか、あるいはそこに至るストーリーや情報に対してのものなのか。どんなに優れた作品を作ったとしたって評価の前提にそこまでのストーリーが含まれるなら、その感情ってどこから生まれたものなんでしょうね?

 

 

3.

 ブログをやっていない間もだらだらと小説は書いていて、一時期このブログに載せていこうかとも思ったのだけれど、あまりに私的なことを書きすぎていてバイアスがかかるからやめました。

 知人間で感想を言い合おうみたいな話もあったのですが、最近は専らこんな思考なっているのでそれもままなりません。僕は僕じゃなくて作品を見てほしいだけなのに、脳みそも心も面倒くさいことこの上ないな。