43.1月のはじめくらい 蛍光灯が切れた日

1.

 年、明けてましたね。

 あけましておめでとうございます。

 無粋な人はここで何がおめでたいんだとか言うと思うのですが、というか漏れなく自分もそちら側の人間ではありますが、新年早々から人の苛立ちを買うような真似はしたくはないし、明けたこと自体はめでたいのでそういうことは言いません。今年も滅びることなく新しい年を迎えているのだから、それはそれで素晴らしいじゃないですか。ありきたりなことを言えば当たり前ほど有り難いものはないってことなんでしょう。

 でも、それはさておいて、こうして季節ごとにこの国では催しがあるけれども、それはたぶん国民性からではないと思うのだよね。誰もが感じているだろうこの狭苦しい四方を海に囲まれた島国だからこそというか、そうしたイベントごとがないと、息が詰まって現実に殺されてしまうんだろうなと思います。

 それはこの国に限らず世界中どこにでも同じことが当てはめられて、つまるところ思考なんてものをできるがばかりに、一年の中にも意味を見出さないとみんな狂ってしまう。毎日がなんとなく過ぎ去って、それで終わっていく人生だなんて誰も考えられないのは、そんな人生を送っている間に自分が狂ってしまうからですよ。だからこうして新年を狂わずに迎えることができてよかったね、よかったよかった、今年もまた狂わないように死んでいこうと思うわけです。

 結局、無粋なことを言ってしまった気がする。

 

2.

 違うんです。こんなことになったのは自分のせいではない、とは言い切れませんが、幼少期のトラウマのせいなんです。

 みんな自覚はないかもしれないけれど大人が子供に与える影響って計り知れないほど大きなもので、僕もその影響下で育ってきました。家のことは話すと長くなるので割愛しますが、こちらもまともなものではなかったことだけはお伝えしておきます。家の中での唯一の救いは5歳離れた弟の存在で、本当に小さな頃はいつもピッタリとくっついていた気がする。

 とまあそれは別の話で、もちろん小学校にもトラウマがたくさんあります。よく覚えているのは文化週間だかなんだか、そんな期間のことで、校内に生徒と保護者、それに附属している老人ホームの人たちの作品が展示される時期があったのです。その期間中はクラス毎に一通り見て回りましょうなんて、見て回ったのですが、保護者の作品の中にろくでもない物があった。

 そのろくでもない物はしょうもない大人がしょうもない気持ちを込めて作ったものだろうと思ったのだけれど、どうにも死を連想させるようなもので、これのことを僕は未だに恨んでいる。どうして生の真っ盛りにいる小学生にそんなものを見せないといけなかったのかと、思い出すだけでムカムカしてくる。奥歯に力が入って顎が痛くなる。この作品がトラウマになっているとこに気がついたのは大人になってからだったけれど、いま僕があの作者に出会ったら張り倒してやりたい。もう死んでいるかもしれないけど。

 あと、それとは関係ないけれど老人ホームとの交流も嫌でした。死臭の漂う老人たちに囲まれて、見えているのかいないのかわからない目が僕を見ていて、その中心で見世物をやらされた記憶はあまりいいものではない。でもゾンビみたいな拍手が返ってきて少し嬉しかったのは覚えている。いまでもあのゾンビたちが入れ替わって、その中心で見世物をやらされている小学生がいるんだろうなあと思うと、そわそわした気持ちになりますね。代わりに僕の死に様でも見せてやって、シワト同一化した目が見開かれるのを笑ってやりたい。