26.8月の中頃くらい 口内炎の痛む日

1.

夏風邪なのか夏バテなのか心労なのか見当もつかない、見当つけるつもりもないけれど、とにかくそんな感じであまり調子が良くない。

それでも世間一般の立派な皆さんに距離を開けられてたまるものかと、目やにでふさがった瞼を擦りながら朝のリビングに佇んでいると、父親が不快そうな気配を出している。私に向けられたものなのか、母なのか、もしかしたらもっと別のことなのかもしれませんが、目が見えなくても感じ取れるものなのでそういうことなのだろうと思います。

そんなに不快なオーラを出されたって、私からはなにも出ませんことよ。

 

2.

親しい人は知っている話なのですが、お腹に蝉につけられた傷があるんですよね。

蝉に人体を傷つけるような機構があるとか、そんなわけはなく、そんなものがあればゴキブリよりも害悪な夏の害虫として駆除されるでしょう。駆除されないかな。つい最近ひぐらしを見る機会があったのですが、あの小ささたるや。あのくらいならきれいだしかわいいかな? と思います。もし日本の蝉がすべてひぐらしだったなら、お腹に傷を背負うこともなかっただろうなあ。

なぜこんなことになったのでしょう?

話は三年ほど前にさかのぼります。

深夜、終電の少し前ほどの電車にて帰ってきた夏の日でした。

何度か話した通り私の家の前は大きな公園で、そのせいか夏になると大量の蝉が発生するんですよね。それだけなら注意深く下を見て歩いていれば害はないですし、うるさいのはイヤホンでもしてしまえばなんともなかったのですが、その日は運が悪かった。

家に入ろうと視線を上げるとドアの取っ手脇には大きな蝉がどっしり構えているじゃありませんか。私の動きは固まり、思考だけが必死に巡りました。

もしも強硬策でドアを開けてしまえば。蝉は勢いよく飛び立ち私に、運が悪ければ家の中に入り込んでしまう。

もしも手で掴んで投げ飛ばしてしまえば。そもそも虫を触れませんし、掴んで投げた蝉がUターンしてきたならば逃げ場のない私にはなす術がありません。

そんなもしもの先に私が取ったのは安全策というにはお粗末な、少し距離を取って石を投げつけて蝉にぶつけるというものでした。傘でもあれば違ったかもしれませんが、その時の私はバッグ一つ背負っていただけで長物はなにもなかったのです。

そうして深夜に始まった情けない青年と蝉の物語。

青年はまず石を探しました。街灯もまばらな夜の公園で手ごろな石を拾ってはポケットへ。常人にこの場面を見られていたなら警察の方々にお世話になってしまっていただろうことは想像に難くありませんが、その方が幸せだったのかもしれません。

石を集め終えた青年は膨らんだ両ポケットを抑えつつ戦場へ戻ります。ほんの少し、蝉がいなくなっていることを期待しましたが、それは変わらず鎮座しています。

そうして青年は石を投げ始めました。まずは様子見で下手投げ。思うように理想の軌道を描くことはできません。ならばと軽く上手投げ。マシにはなりましたが、もとより肘を壊している青年には細かいコントロールがつきません。

ここまでで約10投ほど。手元に残された石はわずか。ドアの前には無残に散らばった小石。蝉は健在でした。

石はまた拾って来れば問題ありません。しかし青年の計算は、この時間になってもちらほらと人通りがあったことで狂い始めていました。

考えてもみてください。二十歳前後の青年が汗を流しながら腕を振っているのは、深夜の路上で、民家に向かってなのです。こんな場面誰にも見られるわけにはいきません。そうした気遣いは確実に青年の体力を奪い、心は焦燥感に駆られ、自縄自縛に陥っていきます。

転機が訪れたのは石を投げようと狙いをつけている最中、曲がり角に人影が見えたので通りすがりを装い何事もないように家の周回をしようとした時でした。

人影に呼び止められた青年がついにこうなったかと諦めて振り向くと、声の主は終電で帰ってきた父親だったのです。青年はこれが努力の末にもたらされた奇跡なのだと、大いに喜んで事情を話しました。

父親は呆れつつも話を聞き終え、確かにそこに存在している蝉を一瞥すると家の門を開けました。青年もあとに続きます。そうして父親は何でもないように蝉を掴み、手首だけで脇に投げました。

嫌な予感がしました。

どうせなら大きく投げてほしかったのです。そんなポイ捨てをするような手つきで投げても距離は取れません。

そしてそう抗議する暇もなく、蝉は投げ捨てられた空中で見事な宙返りをし、本能的に敵へ攻撃するがごとく、青年に飛び込んでいきました。

しかし青年もこれは予感していました。盾のように構えていたバッグを躊躇いなく蝉に投擲すると同時に、門へと向かい弾かれるように飛び出しました。

そう、門に向って飛び出したのです。

とはいえ一軒家についているものですから、せいぜい胸の高さ程度しかない小さなものです。飛び出した青年は勢いそのままに門に突っ込み、その衝撃で開いた門につんのめり、その門の角で脇腹を切り裂きました。

転がった先の地面で見たのは真っ暗な空。目線を戻すと家の前では父親がぼんやりと口を開いているだけで、蝉はいなくなっていました。

 

3.

蝉にしろゴキブリにしろ、どうして彼らは人間の前に出てくるのでしょう。特に蝉に至っては気がつくとベランダに仰向けで転がっていたり、先のようにドア横に張り付いてみたり。

やっぱりあれでしょうか。死に目くらいは誰かに看取ってもらいたいとか、そういうやつなんでしょうか。それなら賢いなあとは思います。構ってちゃんの人間みたいで愛おしさすら感じるかもしれません。

ところで人前に姿を現すゴキブリは年老いてなんだかの判断がつかず、人目につく場所に出てくるのだと聞いたことがあります。人間も老黙すると車で高速道路を逆走しますし、それと同じようなものでしょうか。

死ぬ間際まで迷惑かけるなとか、いろいろ意見はあると思いますし、私もそう思います。死ぬなら一人で死んでくれ。