14.5月のおわりくらい なんだかハイな日

1.

この間、弟が救急車で運ばれてから赤いランプがムカついて仕方なく感じるようになりました。

正確には赤いランプに群がる人間モドキどもがムカついて仕方ない。誘蛾灯に誘われる蛾なんかよりも、よっぽど醜いね。ゴミだね。ゴキブリよりもたちが悪い。燃やして燃料にでもしてしまえばいいよ。

睨んだらすぐに離れていく癖に近寄ってくるんだからノウミソ入ってるのか怪しいもんだなあと思います。

こういう気持ちが錆びついて腐らぬように彼らの顔だけは剥ぎ取ってでも覚えておかないといけないし、せっかくだから全部受け止めて初期衝動に変えてしまえばいい。

 

2.

仕事やめる踏ん切りをつける前、「明日地震が起きたらやめよう」とか、そんな下らないことを希望にして縋って苦しんでる日が多かったような気がします。それはたぶん間違ってはいないのだけど、今になって思い返すと健全ではなかった。宛にもならないことを待ったって誰も救われやしない。

たぶん、過去に新興宗教にハマっていた母親もこんな感覚だったんだろうね。宝くじを買い続けるみたいな。外部に希望を持つのは楽なんだけども、心がくさくさして取り返しがつかなくなる前にやめたほうがいいよ。ゲーセンでガンダムして台パンして怒りを蓄えたほうがマシ。

ところで誰か固定組みませんか。当方格下狩りで勝率65%、台パン経験アリ。

 

3.

実際やめることが決まってから、取り留めのない夢みたいなものに囚われていたのが嘘みたいに気分がよくて、まるで掃き溜めの路地裏に迷い込んだかのようです! 明日は見えない! 隠れる場所もさす傘もない! 夜は幻聴で飛び起きる!

いやあもう、願う明日もないよ。願う明日もないけど昨日よりもマシな気分なのだよね。不思議だなあ。

ただ気持ちは前向きでいい感じなんだけど、なんというか思考がバラバラで、言葉が散り散りになる。踏み外した先で足掻こうか足掻くまいか、受け止めるか受け止めないか、ラーメンにするかチャーハンにするかみたいな。

わかるのは今までが終わったことくらい。よく格好つけて終わりの始まりなんて言葉を使いたがる作者がいるけど、いまのおれを見てもそんなふうに言うのかな。終わりは終わりだし、始まりは作者だからわかることでしかなく、つまり神として始まりを知っているだけに過ぎず、これが厨二病の成れの果て、全能感に塗れた自意識過剰の塊なのです。だから誰かおれに始まりを告げてくれ。具体的には職と金をくれ。文章ならいくらでも書きますぞ!

 

4.

あ、シードルおいしかったです。また飲みたいな