18.6月の中頃くらい 夜歩きをした日

1.

書きたいことがないとか、刺激がないとか、色んな問題が山積しているに間違いはないのですが、文章を書くことは楽しいです、多分。

なにもしていないと天井を眺めるだけの時間になってしまうけれど、こうして文章を書いていることでかろうじて無意味なものではなくなるし、ノイズのように浮かんでは消えるとりとめのない思考を胸に留めて文字にし整理することとか、それが楽しいのかなと思います。真面目だからね。きっちりしていることが気持ちいいとか、心地良いんじゃないでしょうか。

そんなわけで、ちょくちょくと思い出したときに日記は書き連ねていきたいなあ。

 

2.

父の仕事の都合で今まで何度か引っ越しをしてきた。

とはいえ本州から出たことはなく、父親の単身赴任だけで済んだこともあったりしたので、住んでいる場所自体はさほど変わらなかったりするのだ。

今住んでいる場所なんかがまさにそのパターンで、小学校卒業と同時に転勤したものの1年と少しでもといた地域に戻ってきた。同じ地域内の端と端ではあったけれども、県を跨いだりなんてことがないのだからほとんど誤差のようなものだろうと思う。

ところが最近、仕事とは関係なく住む場所を変えようという話が浮上しており、やれ海沿いだのやれ山の中のワケアリ物件だの、俗世とは切り離された場所ばかりを母が提案し、仕事を持つ父は当たり前ながらそれに顔をしかめている。家が変わったところで勤務地が変わるわけではないのだから当然だろう。というか、よく家なんてねだる事ができるものだなあと感心してしまう。うちの家族はみんな頭がおかしいんだ。

 

3.

無職なってからというもの家にいることがこれまで以上に苦痛で、2、3日に一度はネットカフェで寝泊まりをしている。落ちるところまで落ちたものだなあ。深夜のネットカフェはどこからか独り言が聞こえてきたり、向かいのブースで吐瀉音がしたり、たまに色っぽい声が漏れてきたり、一つの街のようで面白いですよ。でもまあ、住人にはなりたくないものです。この目減りしていく貯金が尽きる前にどうにかしないといけない。家のことは、まあ当面どうにかなることはないだろうから心配ないだろうけれど、それでも健全でないことに違いない。精神を安定させないといけない。なにもしていないと自分の心音が異様に大きく響いて、脳内には必要以上に血がめぐり、思考は熱を帯びて加速し、取り返しのつかないような気分になるのです。狂いそう(こなみかん)

 

4.

ところで、自分の自宅遍歴を思い返しつつ家の前のツツジ(?)を眺めていたら、大きな桜の木のことを思い出しました。

いつ頃の記憶か定かではないのだけど、おそらく十年とかそのくらい前な気がします。いまと同じ地域に住んでいたころですね。

その桜の木は踏切の手前に植えられていて、両側一車線の道路に覆い被さるように伸びていた記憶がある。当時、というか若くて幼いやつらなんて花に興味を示さないものだろうし、自分もその例に漏れずそうだったのだけど、その桜の木だけは印象強く記憶に残っている。大きな木だけあって栄養が満足に行き渡らないのか土地が痩せているのか、満開になってもすべての枝に隙間なく花が咲き誇ることはなかったのだけれど、たった一本で空を覆うように広がる桜色の花びらは異様な美しさを持っていた。

たしかその木の所在は、いまの家からほど近い踏切はずだったことを思い出して、なんとなく歩いてみたのだけれどその場所に桜の木はない。いや、正確には桜の木はあるのだけれど、記憶にあるような大きさをしていない。せいぜい道にはみ出してくるくらいで、あまり大きくない公園によく植えられているようなサイズだった。

というか、そもそもその桜の木があったならば今までで気づかないはずがないだろうにと独りごちりつつその木を眺めていると、幹にいくつか大きな切断面がある。そう、サイズ感自体は大きなものではでないのだが、幹だけはとても立派なものだった。そうするとこの木はやはり記憶にあったあの桜の木なのだろうか。

あまり信じたくない気持ちがあって、なにか手がかりでもないかと歩いてみるもののそんなものがあるはずもなく。気持ち悪さを抱えたまま帰路につき、なんとなくインターネットで調べてみると事情が出てきた。

なんでも2011年の地震でいくつかの枝が折れてしまったらしく、今の状態になってしまったのだとか。2011年。この家に住み始めて、2年ほどの年だった。