22.7月のはじめくらい 元同僚に本を返した日

 1.

暑い日が続くと太陽を呪いたくなります。

よく創作物で太陽に近づきすぎると云々みたいなことを書く人たちがいるけれど、これだけ離れていても皮膚は焼けるし死者だって出るのだから、比喩としては陳腐だなあと思って生きているのだけど、そもそも比喩はわかりやすい方が効果的というか、正しいものだからこれでいいのか。浅瀬を泳いでいる魚が深海を目指して圧死するようなものだ、とか言われてもピンとこないものね。太陽は強いなあ。

そういえば僕も太陽に憧れたことがあって、いまとなってはどうでもいいのだけど、当時は太陽に張り合うべくぎらぎらと生きていたことがあります。ぎらぎらといってもちょっと積極的になったり、ネットのチャットツールで頭の悪そうな女の子をひっかけようとしてみたり、まあどれもうまくいかなくて一週間くらいで飽きました。太陽は向いていなかった。

こんな性格をしているからなのか、僕はどうにもそうしたものに憧れる質らしくて、例えばギターなんかも親戚から譲ってもらい練習したのだけど、少し弾けるようになったくらいで興味をなくしてしまう。

たぶん、僕は、みんなの憧れるものがほしいのだなあ。みんなが見上げるアレが。

ほしいほしい、なんてごねたところでどうせ手には入らないし、そもそも手が届かないことも知っているのだ。たまに、どういうことか事故で手が届きそうになるけれど、そうなると急激に嫌になる。

僕がほしいのは僕がいくら手を伸ばしても届かないもので、手に入れられるものはそんなに欲しくないのだ。なんだか虚しいね、えへへ。

手に入らねえ、どうすればいいんだ、くそう、などと喚いたり興奮したり沈んだりしているうちだけ、それを欲しがりありがたがっているだけなのだよね。それ以外はどうだっていい。となると、実際に好きなものはなんなのだろう?

ないのかな、あるのかな、どっちだろうなあって、そんなことどっちでもいいよね。

この間読んだ本にも、幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。とか書いてあったし。だから、手に入らないものを欲しがっていればいつだって幸せであるわけで、だから好きなものがあるとかないとか、それはどうだっていい、些細な問題でしかないのです。

 

2.

ここ数回分くらいのブログを読み返してみたら、常にぼんやり空や天井を眺めてるよなことばかり書いていて、自分でも気持ち悪いなと思いました。こんなもの読ませてごめんなさい。もう少し人間らしく生きられるように頑張ります。