24.7月の終わりくらい 母校が敗退した日

1.

今年って平成最後の夏だそうですよ。

と聞くと人によっては感傷的になったり、なにか残さないとなんて使命感に駆られたりするのかもしれませんが、残念ながら社会とつながりのない無職の自分にはそういったものがなく、日々無職歴が増えていくだけなのです。平成最後の夏を見守り続けることを仕事にしたい。前々から思っていたのだけど、どうも僕は物事を長く続けられない性質をしているようで、短期バイトみたいにコロコロと職場を移り歩くほうが向いている。それすなわち真っ当な人間生活は期待できないわけで、だけれど心としては安定した生活を望んでいて、右手と右足が同時に出るようなチグハグの中で生きています。たまにしかこの日記を書けないのもたぶんそれが理由です。

 

2.

すごく捻くれた人はどこどこの球団のファンだという人たちを指して「自分が選手でもないのになんで応援するのか」とか、「その球団が勝ってもお前にはなんの見返りもない」とか言うそうですが、全くその通りです。くだらねえ。なんで巨人なんか応援してるんだろう。だいたい、なにかを応援する中で感じる感情としてはマイナスよりのものがプラスよりよっぽど多いと思う。長野のアウトローボール球空振り三振を見るだけで、お湯が湧く間近のケトルのようにボコボコと負の感情が煮え立ってくる。何年間そんなこと繰り返してるんだって、自分には立てない場所にいる相手を責め立てたくなる。なんでだろうね?

チームが勝ったってうれしいとかではなく、真っ先に浮かぶのは安堵。あぁよかった、勝ってくれたって、どこへ向かうのかもわからない安心感。応援し始めた最初の頃は喜んでいたように思うけれど、今となってははっきりしないからなんとも言えない。

たぶん頭のいい人はこんなグチグチと考えることもなく、なんとなく好きだからとかって理由で応援ができ、いろんなものを好きになれるのだけど、僕のように頭の悪い人は頭が悪いのでこうして陰で鬱々と考えてしまう。

 

3.

そんなわけで今年も母校の野球部の夏が終わりました。

朝からの試合だったみたいで、見ようとは思っていたのだけれど起きたら次の試合が始まっていた。慌ててネットニュースを見ると序盤に大差をつけられ、終盤に追い上げるも届かず敗戦。よく見る終わり方だった。だけれど、僕にとってはよくある終わり方でも、現役の彼らには一度しかない終わりであるはずなので、こうして記号化してしまうのはよくないなと思いました。来年はもっとレアな負け方とか、あるいは甲子園進出を決めてほしいと期待しています。

彼らを応援したところで僕の世界ランクは上がらないし下がりもしないけれども、後輩には幸せであってほしいし、というか生きている皆さんが幸せであればいいと思っている博愛主義者なので、彼らを応援するぶんにはこのくらいの気持ちでいいのではないでしょうか。いいかな? いいよね?