28.9月のはじめくらい 不協な和音の響く日

1.

 どうせいつか野垂れんのなら華々しく砕け散りたいなあと思います。

 

2.

 ベイブレードってあったじゃないですか。もう15年位前になるんでしょうか、凄まじいブームでどこのお店に行っても買えなかったんです。僕も例に漏れずなかなか手に入れられず、手元に増えていくのはガチャガチャでゲットできるパチモンばかりで、思えば僕は昔からこうした偽物ばかりをつかまされていて、幼稚園の頃にはコードでつながったミニ四駆を一人だけ持っていた気がする。

 初めて本物のベイブレードを手に入れたのは阿佐ヶ谷のパールセンターで、入り口の程近く、子供の僕から見ても死にそうな色を醸し出しているおばあさんがやってるおもちゃ屋だった。土曜日の午後に母親に連れ出してもらったのだけれど、店の前に並んでいたらしいベイブレードはサンプルしか残っていなくて、けれども僕はそれにひどく安心した覚えがある。サンプルとして残されていたベイブレードはアニメで見たこともないもので、パッケージには青色のミミズのようなキャラが描かれていて、公式のロゴがなければまず誰も買わないような見た目をしていたからだ。

 当時の僕はインターネットなるものの存在も知らず、情報源といえば毎日18時からのアニメと月刊コロコロコミックくらいのもので、主人公たち以外のベイブレードなど知る余地もなく、店主のおばあさんは子どもを騙そうとしているのではないか、くそう、舐めやがって、こちらにも意地がある、誰が物欲しそうな顔をしてやるものかと口を一文字に結び、うねうねしたミミズキャラを睨みつけていた。

 ところがそれを見たおばあさんは僕が泣きそうなのを堪えていると勘違いしたのか、それとも気味の悪いミミズを処理したいのか、少し困った顔をしながら母親に、「サンプルでよければ売りましょうか」と、持ちかけ、喜ばしげな母、絶望的な僕。かくして嬉しそうな母の手から青色ミミズを手渡され、これがベイブレードかあ、すごいなあと僕は喜びました。喜びました。

 

3.

 パールセンターはいまどうなってしまったのかわからないけれど、思い返してみると平成になりそこねた昭和を詰め込んだような場所だった。思い出深いのは夏の七夕祭りで、祭りといっても出店が多く出る祭りではなく、センター街の天井からよくわからない人形が吊り下げられる奇祭だった。みんな上を見て歩くから人にぶつかることも多々あって、だから食べ歩けるものを売る屋台が出せなかったのだと思う。

 しかしながら脇道に逸れてしまえばいくらか屋台はあるもので、僕はそこにあったゲンゴロウ掬いが好きだった。小汚いおじさんが店主をしていて、これまた気持ち悪いゲンゴロウを水槽に泳がせているからなのか、僕以外にそこに近づいていた人は見たことがない。おじさん自体は汚くはあるけれど気のいい人で、歯抜けの口を大きく開けてよく笑っていた。

 ゲンゴロウというのは水中に生きるゴキブリのようなもので、ゲームとしてはそれを水槽から掬い上げ、隣にある仕切り板で区切られたタライに落とし、ゲンゴロウを落とし、どの区画に入ったかで景品を貰えるものだったと思う。昔、それなりに虫は触れる子供だったとは思うのだけれど、それにしてもゲンゴロウは気持ち悪く、掬い上げた時点で反射的に放り捨ててしまったことがある。おじさんはそれを見て笑い、「気持ち悪いよなあこいつら。俺も触りたくねえや」と、地面に落ちたゲンゴロウを踏み潰していた。かわいそうだなあとは思わなかった。誰が掃除するのかと聞くと、そのうち虫が食べてきれいになると返され、虫なのに虫に食べられるのはかわいそうだと思った。

 

4.

 パールセンターの中程には回転寿司があった。街中でよく見かけるチェーンではなく、店名はもう覚えてはいないけれど、なんだか賑やかな回転寿司だったのだ。それまではくすんだ色の店が並んでいるのに、そこだけが煌々と輝いていて、メリーゴーランドのようなのだ。対する今の僕は人生をゴーボトムアラウンド。ぐるぐると回るのは寿司ではなくこの先の不安。注文したネタはお祈りとして帰ってくる始末。子供の僕はベイブレードを回し、いまの僕は職を回そうとしている。そういえば前述のベイブレードには、ぶつかると火花を撒き散らすギミックがついていて、それを嫌がられて対人戦では使うことができず、家で一人壁にぶつけるしかありませんでした。僕は昔からずっと同じことばかりしている。