6.4月の初めくらい 晴れ渡った日
朝、遅延してきた山手線に詰め込まれてドアに体を押し付けられていたら公園でなにかを練習する大学生くらいの集団が見えた。なんていうんだっけなあれ、ラクロス? ホッケー? 棒を持って玉を使うやつ。
まだ肌寒い日も多い、いやそんなに多くないかもしれないけど、そんな中でも肌はしっかり日に焼けていて普段から練習していることが伝わってくる、そんな格好の彼ら彼女ら。それを見る吐きそうなおれ。
彼らにはおれみたいになってほしくないなあ。とは思ったのだけれど、彼らみたいな人って実は身近にたくさんいるんじゃないのかしらん。
一途に打ち込んだものを仕事や自分の将来にできることはこの上ない幸せ、生きる意味だろうけど、全員がそうなれるわけじゃない。サッカーとか野球とか競技人口が多いものは意外に間口が広そうだけど、ぱっと名前の出て来ないスポーツをする彼らはそうもいかないんじゃなかろうか。
自分の一番輝かしい時間をスポーツでもなんでも、好きなことにのめり込んで、社会に出るときに置いてきてしまうのって、いったいどんな気持ちなんだろうね。悔しいと思うのか悲しいと思うのか、はたまたまだ諦めずに心に隠し持つのか。
みんながどうしているのかは知らないけれど、社会で働いてる人はみんなそんな人知れぬ諦めを経験し、背負って生きてるのかもしれない。そう思ってみると人に優しくなれそうじゃない? 涙すら出てくるよね。
なんて思いを馳せていたけれど、思い返してみれば僕も書くことを放り投げて社会に出てきた一人でした。
みんな優しくして! おれを認めて! 慰めて!
なんだやっぱりわけも知らん他人なんて人ですらないな。優しくなんてなれやしない。おれに体を押し付けるな、けつを触るな、鼻息を肩に当てるのをやめろ。どいつもこいつも頭に糞でも詰まってんのか。
そもそもこんな混雑する朝の電車に乗るようなやつらは社会に出るしかなかった糞でしかないのだ。糞を詰め込んでは吐き出す電車。そこに乗り込むおれ。やっぱりおれも糞だわ。バカらしいったらない。